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執筆者の写真新住職

「おじいちゃんはお花になった」

三連休の最終日、きょう、お寺ではお葬式が執り行われました。

きのうの通夜から、小さなお孫さんもずっとお参り。

まだ「死」というものが理解できているような、いないような、そんなご様子。

無邪気なご様子でお棺の窓を開けたり閉めたりしておられました。

聞けば、おじいちゃんが亡くなる前の日もお孫さんごきょうだいと一緒にお風呂に入り、

お布団で一緒に寝て、その日も一緒にお出かけされたとのこと。

大変懐かれて親しくされていたことがご様子から容易に察しとれました。


お葬式。

葬儀が終了すると出棺です。

そのときには、お供えのお花を棺の中にたくさん入れてお飾りします。

お孫さんもたくさん入れておられました。

棺のふたが閉まるタイミングになっても、そのお孫さん(おねえちゃん)はずっと。

司会の方が、ふたを閉めようとすると、「このお花も入れる」とつぼみを入れていました。


司会の方とお孫さんが交わした言葉…。

「おじいちゃんは、お浄土で、お花になるんだよ。このお花も咲かせてくれるよ。」

うれしそうに、入れておられました。


火葬がおわり、お寺に戻ってこられました。

戻ってきたら、お孫さんご兄弟がわたしのところに来て、

そのちいさな弟さんが、「おじいちゃん、骨になった。」と。

私は、そのおねえちゃんのやりとりを聞いていたので、自信を持って、

「いまごろ、おじいちゃんはお花になったんだよ。」

とお話しすることができ、

ご家族のみなさんと温かくなることができました。


実は浄土真宗の葬儀では、

正信偈のあとにご和讃(親鸞聖人が作られたお歌)もお勤めします。

葬儀では、

「如来浄華の聖衆は 正覚のはなより化生して 衆生の願楽ことごとく すみやかにとく満足す」

というご和讃が取り上げられています。

「如来浄華の聖衆」とは、「浄土に生まれられた方々」を意味し、「正覚のはな(華)」とは、「『あなたが命終わる時には、私が必ず仏として生まれさせましょう』という仏様のお心を蓮華のように花開いた心」を喩えています(立徳寺ホームページを参考)。

きょう、直前にお勤めさせていただいたものです。


小さなご兄弟から学んだ、大切な大切なご縁でした。





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