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  • 執筆者の写真新住職

「だいじょうぶ。この道をいきなさい」

この一週間はとても寒かったですね。

雪の日が続き、きのうきょうは雨でした。

夕方になって雨が上がり、日没の時間帯にやっと外で作業ができました。

この頃は6時を過ぎても明るいですね。

暗くなる間際にふと空を見上げると…。

一直線の飛行機雲が、日没方向から伸びていました。

写真はすこし時間が経ってからのものですが、それでもまだ雰囲気が伝わってくるとよいのですが。


空を見ながら、次のことを思い出しました。


浄土真宗では、親鸞聖人が多くを学んだ善導大師の教えも大切にしています。善導大師は、中国の浄土教のお坊さんで、浄土真宗では七高僧さまのお一人に位置づけられます。その教え(『観経疏』)のなかで、「二河白道」のたとえを説かれています。私はこのお話がとても好きで、自分が担当するご法話の多くで紹介させていただいていますし、何より、自分の生きる羅針盤にしています。次の文はその簡単なまとめです。


(上の絵は「www.joukyouji.com/houwa1003.html」より)


ある男が、猛獣や山賊に追われ命からがら逃げてきた。ところが、目の前には大河が…。この大河は、白くて「平均台」のように細い橋のような道が対岸に伸びているが、その右を見ると荒れ狂う大波、左を見ると燃えさかる炎が広がり、とてもではないが渡れる状況ではない。しかし、このままでは猛獣や山賊に殺されてしまう…。

この絶体絶命のときに、阿弥陀さまが現れ、対岸から「この道を渡っておいで。守ってあげるから」と呼んでいる。男は躊躇しているが、今度はお釈迦様が現れ、此岸から「この道を渡ってごらん。だいじょうぶだから」と勧めている。

男は、荒れ狂う河に掛かる白い道を歩み出し、無事阿弥陀さまの世界へと渡りきることが出来た。


猛獣山賊は、これまでの私たちの行いと後悔・うしろめたさ。水の河は、留まることのない欲望。火の河はわき起こる怒り、恨み。対岸(彼岸)は往生した先の世界、此岸はいま私たちが生きている世界。そして、男は、このわたし自身。


およそ、よい生き方、立派な生き方ができるようなわたしではないし、これからもとうてい、そのような善い生き方はできないかもしれません。それでも、阿弥陀さま(=すべてのいのちのつながり)は、「だいじょうぶだよ、このみちで生きていけるよ」とわたしを呼び寄せてくれ、お釈迦さまは「だいじょうぶだよ、このみちで生き抜いて行きなさい」と教えてくれています。わたしにとっての生きる道は、あまりに細く多難なものかもしれませんが、でも、この道は見守られながら生き抜いていける確かな道なのだ、という安心をいただき、前へ進んでいける気がします。


迷ったとき、心が詰まったとき、自分はいつも「二河白道」のたとえを思いだし、その先の阿弥陀さまのお顔(やさしいかんじ♪)を頭に浮かべて、いっぽ、歩み出す力をいただいています。


日没、空に見えた西へ延びる白い道。

合掌。

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