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執筆者の写真新住職

「ひとりではない」世界観

前日まで4連休が迫っていることに気がつかなかった…。

今年はオリンピックの一年延期でカレンダーもバタバタと変更になりました。

こういうことはなかなかない経験かもしれません。


さて、連休初日の暁雲寺では、午前中は、仏教婦人会の役員の方が、今後の行事などの日程を決める話し合いをされ若坊守が同席いたしました。午後からは、お花の教室がありました。前住職は御門徒のご法事と、その後お寺とご縁のある方の葬儀のために新住職、前坊守と一緒に高速道路で1時間あまりの街にお参りに行きました。


葬儀が終わり、御棺が扉の向こうに送られた後…。

「いま、(亡くなった方)はどこにいるのでしょうか。もう会えないのでしょうか」というおたずねをいただきました。

浄土真宗では、阿弥陀さまがおつくりになったお浄土という世界に、誰もが仏となって生まれて往き、私たちは先立たれた大切な方に見守られながらその思いを感じて、精一杯生きていくことができます。「俱会一処」(仏説阿弥陀経)ということばがあります。「ともに、ひとところであう」。この言葉は、亡くなったら…という意味に留まらず、時をこえ、場所をこえて、ともにいっしょに生きていることも意味します。

ひとりではない…こうした世界観のありがたさを、改めて感じさせていただいた時間でした。


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