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  • 執筆者の写真新住職

慌ただしいなかで、ぶれない大切さ


8:30からは、常例の十六日講(親鸞聖人の月ご命日をご縁としたお参り)があり、ご門徒さんと一緒に正信偈をお勤めさせていただきました。お参りのかたも、当然ですが、だんだん高齢となります。でも!新住職とお参りのかたの会話は、どこか懐かしいというか、私がただ懐いているというか、何年もかわらないホッとした時間を過ごさせていただきました。

ただ、きょうはお寺は慌ただしく、汗びっしょりの一日でした。そのぶん、多くの方々とお会いするご縁をいただきました。


10:00からは、会館でのご法事があり、久しぶりのご親族の再開を喜ばれるとともに、故人を偲ぶなかで残された私たちがいかに生きていくかを考えさせて頂くご縁をいただきました。本日のご法事は、一周忌でした。その間に、私もふくめてみなさん様々なことがあり、近況をお話しあったりしました。ご法話では、先立たれた方がご生前に新住職に話されていたことばを引用し、「自分の力で生きていると思っていた。しかし(病気を患い)それは違っていた。生かされていまここにいるのだと実感させてもらう日々。残された日は長くないかもしれないが、その日々を精一杯感謝のうちに生き抜きたい」と話されていたことを味わいながら過ごさせて頂きました。


午後からは、新住職は勤め先のご縁でゆめシティで献血呼びかけキャンペーンのボランティアをさせてたいだきました。前住職は新しくおうちを立て替えられたご門徒さんのお仏壇の入仏式のお勤めに出ました。入仏式は少し前に新住職もお勤めさせていただきましたが、あたらしいお家で唯一といってもいい、昔のままの空間がお仏壇で、このことがかえって、阿弥陀さま=いのちの時間空間をこえたつながり の存在を大きく感じられたことがありました。


きょう一日は、慌ただしい一日でしたが、すべて移り変わる中で、どの場面も、見守られながら私がここに生かされている、ということを改めて感じさせていただくご縁となりました。


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