先日、用事で韓国にいました。
十何年ぶり…の訪問でしたが、今回はあることに気がつきました。
「アミタ」というお寺や山の名前がけっこう多い!
釜山に着いたらお寺がありましたが、そのお寺にある石仏さまはおそらく阿弥陀さま。
「ここでも会えましたね♪」
ソウルの王の宮殿の背後にある山も阿弥陀という名前が付くもの。
「ここでも会えましたね!!」
どちらも、自分が大学生のころから、何度も前を通過しています。
でも、全く気がつきませんでした。
里から離れたこんなところでも、昔から、私を見まもってくださっていました。
ハッと、気がつく機会をいただきました。
阿弥陀さまは、いつでも、どこでも、どのようなときでも、
私を見まもってくださっています。
ついそのことを忘れてしまったり、そもそも気がついていなかったりしていることが多いだけなのかもしれません。
親鸞聖人は、阿弥陀さまのお救いを生きる支えとしてお念仏を喜び歩んで行かれましたが、それに気付かれたのは30歳頃、法然さまと出遇われてからでした。
でも、親鸞聖人がお生まれになった京都日野の法界寺は御本尊が阿弥陀さま。
また、親鸞聖人が厳しい修行をなさった比叡山延暦寺の横川のお堂も御本尊は阿弥陀さま。
ご本人が喜びに出遇うずっと前から、親鸞聖人のおそばに、阿弥陀さまはいてくださっていた…、というのを思い出しました。
帰国後、すぐに、本堂で「ただいま、あみださま。いやぁ、日本を離れていても、昔から、見てくれていたのですね 笑」と手を合わせながら、阿弥陀さまに喜んでご報告させていただきました。
釜山の景色。十数年前と街並みが激変していました。
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