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​鶏谷山暁雲寺の歩み

暁雲寺のはじまり

暁雲寺は、善西師を開基として、文明5年(1473年)10月10日、本願寺第8代蓮如上人より直筆六字尊号を頂き、豊浦郡内日村(江後地区)に建立されました。記録で確認できる限り、浄土真宗として開かれた下関地域の寺院としては最も早い時期のものに位置づけられます。

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歴代住職と江戸末期の困難

記録に依れば、第2世善円師、第3世善勝師、第4世善雲師、第5世善知師、第6世空円師、第7世善流師、第8世万瑞師、第9世遊天師、第10世善桂師、第11世指弾師、第12世義乗師、第13世諦道師、第14世専城師、と続きますが、第15世瑞薫師の時(江戸末期)に江後地区全体が何度も火災に遭い、お堂もそのたびに焼け落ちてしまい、住職が亡くなった後は一時期無住となったとされます。

暁雲寺の再興へ

しかし、当時のご門徒の熱心な活動と篤志により明治4年(1871年)、本願寺より派遣された純孝師が第16世を継職することとなり、火災の教訓から湧き水の豊富な現在の場所にお堂を移し、ご門徒と力を合わせて復興されることになりました。令和3年(2021年)は、再興150年の節目に当たります。

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2023年には創基550年

それ以降、第17世黙然師、第18世三朗師、第19世敬三が住職を務め、この間に、附属の保育園が設置・運営されていました。そして、令和3年(2021年)に和敬が暁雲寺第20世住職を継職させていただきました。

2023年には暁雲寺創基550年を迎えます。

​(写真は、第18代三朗師が住職のときに設置されていたお寺附属の保育園の卒園式記念写真です。)

寺号の変遷

元々は「浄雲寺」という名称でしたが、第9世遊天師が住職であった明和6年(1769年)、長府藩第9代藩主毛利匡満が往生された際、法名「浄雲院」が贈られることになり、藩から寺号改称の要請を受け、暁雲寺と改めたとされています。

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