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永代経法要並びに秋法座が開かれました

19日(日)、永代経法要並びに秋法座が開かれました。

総代さん方を中心にご門徒のみなさんに準備やご心配をいただき、みなさんでお勤めし、御講師をお招きしてご法話を聴聞させていただきました。


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総代さんがたには、朝早くから集まっていただき、御斎の席の準備をしていただきました。

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ちょっと一息。役員さんの休憩時間には、コーヒーゼリーとバニラアイスをいただきました。なんと手作り!!!

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12時の受付のあと、12時半からみなさんで御斎の席につきました。

暁雲寺の御斎はとてもおいしくて自慢♪

いつも総代さん方がアイデアを出し合って工夫して作って下さいます。

ほんとうにありがとうございます。


13時半より、みなさんで永代経のお勤めをしました。

お勤めは、正信念仏偈(行譜)でした。

涼しいかな…と思うようになったこの頃ですが、正信偈を30分かけてみなさんでお勤めすると、汗びっしょり。でも、おかげ様でみなさんととも大きな声で本堂を満たすことが出来ました。


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その後、御講師をお招きして御法話を聴聞させていただきました。

御講師は、下関市小野徳善寺ご住職(本願寺派司教、龍谷大教授)の井上善幸師にお越しいただき、お勤めの大学の先生として学生さんとの対話とのなかでお感じになったことや、映画化された小説(実は新住職もお気に入りの作品で、自分の勤務でも使用したことがあります)など豊富な内容をもとに、分かりやすく、味わい深く、お話しいただきました。

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-----以下、ダイジェストで紹介します-------

前席では、覚りや救いを求めるとき、よく一般的には「私がなにをすべきか」を追い求める。私たちが選択肢として入るものは、自分がふだんできるものの中から出され、できないものは選択肢には入らない。しかし、心身ともに追い詰められた際には、なにをなすこともできず、ただ迷い「生きられるようにしか生きられないこの私」が凡夫として存在している。それらも関わらず、自分に囚われると苦しくなってしまう。浄土真宗では、悟りの世界(阿弥陀さま)のほうから迷いの世界の私たちに願いをかけ光を照らしてくれる。例えば、ひろい海があり、そのなかに迷い沈む石や砂(凡夫である私)は、なにか素晴らしいもの(人)に変わって救われるのではなく、余裕のないギリギリの状態にある石(私)を石(私)のままで大きな船で沈まないように乗せて(救って)くださるなど、歎異抄の一部を引きながらお話しいただきました。

休憩を挟んで後席では、私たちの「幸せ」とは欲求が充足されたことをさすことが多いが、それではこの裏返しとなる「不幸」は不満が募った状態になってしまい、私たちの「のぞみ」はやがて崩れる不安に支配されてしまう。いっぽうで、阿弥陀さまが与えて下さるしあわせは、この身心をおまかせして委ねることが出来る「安心」であり、私を光の世界へ導いて下さるよろこび(利益)であるとお話しくださいました。

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要約のつもりが長くなってしまいましたが、前後2席の御法話のお聴聞があっという間に感じられ、阿弥陀さまの救いを慶びお念仏申し上げる親鸞聖人のみ教えに出合えたしあわせを味わわさせて頂く時間となりました。

自分を見つめる大切なご縁となる時間をいただき、たいへんありがとうございました。

また是非お聴聞させていただければ幸いです。


御座後は、みなさんでお焼香をして、解散となりました。

今回は、総代さんのお一人が前日に境内で拾ってくださったぎんなんの身をキレイに処理してくださり、お参りのみなさんに分けてくださいました。今年は実も大きい上、数も多く、たくさんの実がまだまだ残っています(どうぞお取りください!)。


本日の御法座では、多くの方に準備やお力添えをいただき、またお参りいただき、みなさんでお勤めをすることができました。

たいへんお世話になりました。

また、たいへんありがとうございました。


善ゅ幸

 
 
 

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